東京地方裁判所 昭和23年(行)47号 判決 1949年6月06日
原告
ジョン・オウエン・ガントレット事
岸登則親
被告
国
右代表者
法務総裁
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は原告が日本の国籍を有しないことを確認するとの判決を求め、請求の原因として、原告は明治三十九年三月一日岡山市において英国人エドワード・ガントレットの長男として生れ英国の国籍を取得したものであるが、出生以来日本に居住し昭和十六年四月一年毎に契約を更新する定めで第八高等学校の外人英語敎師となり同校に勤務中、昭和十六年十二月八日大東亞戦争がぼつ発した原告は英国人である故を以て翌日から警察の命令で授業を停止され其の妻子と共に他人との通信をも許されず午後四時から午前九時迄は官舎に止まることを命ぜられ且つ右時間外における外出については其の都度巡査の附添を要し又官の許可なくして住所を変えることを禁ぜられた。更に同十七年三月末日前記契約の期間は満了したがその更新は許されずじ来失職し全く收入の途を失ひ所持金は原告及び家族の一、二ケ月間の生活費をまかない得るに過ぎず且つ、一切の所有物は登録の上凍結され換価不能となり、前記学校の官舎からの立退をも求められるといふ窮状にあつたところ偶々名古屋市御器所警察署の特高係伊藤辰次郞から以後情勢はますます困難を加える旨を告げられ予測し難い非常な迫害の更に加はるであらうとの深刻な恐怖に囚はれた。かくして原告夫婦及び二人の子はやむなく東京に住む原告の父のところに身を寄せたのであるが、父は戦前日本に帰化し当時七十五歳の高齢で横浜高等商業学校の敎師をつとめ一ケ月二百円ないし三百五十円の收入で自己及び家族十人の生活を辛うじて支へて居たのでその上原告一家を養う能力なく、当時の状況として原告が英国の国籍を保有する限り就職は絶望的であつた。従つてそのままの状態では妻子と共に生きて行く途もなくその上前記のように伊藤の言による深刻な恐怖感もあり深刻ない怖の念を生じ日本に帰化する外採るべき途はないものと思ひ、帰化すれば英国籍はなくなると信じ、昭和十七年五月頃内務大臣に対し日本への帰化の許可申請をなし同十八年二月六日内務大臣からその許可が与えられた。原告が帰化の許可申請をなすに至つた事情は以上の如であつて全く官憲ないし社会的環境の非常なる圧迫強制に因り自己及び妻子の餓死を免れる唯一の方途として止むなく申請したものであつて自由意思に因らない意思表示であるからその申請は当然無効である。仮に当然無効でないとしても右許可申請は官憲の強迫によつてなされたものであるから民法第九十六條第一項の規定の類推により本件訴状の被告えの送達(本件訴状は昭和二十三年七月一日被告に送達された)をもつて該申請取消の意思表示をする。従つて本件帰化の許可は申請がないのに拘らずなされたものとなつて無効である。仮に以上凡て理由がないとしても戦時中英国人が敵国に帰化しても英国籍を失はず且つその帰化が有効である限り英国において反逆罪をもつて問はるべきものであるが、原告は申請当時このことを全く知らずしてなしたものであつてもしかかる事情を知つていたならばかかる申請をなさなかつたものであり他面ににおいて国籍法第七條第二項第五号によれば外国人が日本の国籍を取得することによつてその国籍を失ふべきことを要件として内務大臣は帰化を許可する旨規定されているので本件の場合内務大臣は原告が本件帰化によつて英国籍を失ふものと信じた結果帰化を許可したものであるが事実これに反し本件帰化によつて原告の英国籍は失はれないのであるから本件の申請も許可も共に重大な錯誤に因るものであつて無効である。従つて何れにしても原告は日本の国籍を有するものではないからその旨の確認を求める為本訴に及んだと述べ、被告の主張に対し行政訴訟事件が民事訴訟事件と同様司法裁判所の管轄となつた現在においては、公法と私法との区別は意味がなく同じ強迫又は錯誤による意志表示で民法上のそれについては救済を認めながら、行政法上のそれについてはこれを認めないというのは不合理であり、憲法第十三條の精神にも反する。なお国籍離脱の自由を認める憲法第二十二條第二項の精神から考へても、少くとも民法第九十五條第九十六條が類推適用せられるべき筋合であると述べ、立証として、甲第一号証の一、二、甲第二号証、甲第三、四号証の各一、二、甲第五、六号証を提出し証人伊藤辰次郞の証言、原告本人訊問の結果を援用した。
被告指定代理人は主文第一項と同旨の判決を求め、答弁として、原告主張の請求原因事実中原告の内務大臣に対する帰化の許可申請が原告主張の如き圧迫強制乃至錯誤に因つて為されたものであるという点を否認しその余の事実はすべてこれを認める。なお帰化の許可申請が無効となるには、申請が本人の意志に基かない場合たとえば第三者が本人に無断で申請をした場合とか本人がその意思の自由を完全に喪失するような強制を加えられ、やむを得ず申請したような場合に限られる。本件の場合、原告がその申請をなすに当つて官憲乃至社会的環境から多少圧力が加えられたとしても意思の自由を完全に喪失する程度の強制が加えられたものと考える事はできないのであつてその申請は自由意思に基くもので勿論有効であり従つてこれに対する本件許可は有効である。次に原告は強迫を理由とする本件許可申請の取消乃至錯誤による無効を主張するが元来帰化の許可申請は行政庁に対する公法上の意志表示であつてこれに対しては当然には私法の規定の適用はない。唯公法上の行為については民法におけるが如き通則的規定が欠けているために成文規定のない事項に付いては條理によつて判断するの外ないのであつて條理としては同様の性質を有する事件には同様の法規を類推適用することを当然とするから公法上の行為については民法の原則を類推適用すべき場合もあり得るが私人が行政庁に対してなす公法上の意思表示が行政庁の受理するところとなり行政庁がこれに対応する行政行為をした後においては、その行政行為の公定力に基いてその意思表示はもはや取消すことはできないのであつてその行政行為は完全な意思表示に対してなされたと同一の効力を有すべきものと解すべきである。本件の場合においても、原告の申請に対し既に内務大臣が帰化の許可をなしているのであるから原告の申請が瑕疵ある意思表示であつたとしても、その申請はもはや取消すことはできず、従つて取消の意思表示によつて申請が始にさかのぼつて無効となることはなく、当然本件帰化の許可も有効である。以上の理由により原告は依然として日本の国籍を有するものであつて原告の請求は失当であると述べ、甲第四号証の一は不知、他の甲号各証の成立はすべて認めると述べた。
理由
原告が明治三十九年三月一日岡山市において英國人エドワード・ガントレットの長男として生れ英國籍を取得しじ來日本に居住し昭和十六年四月一年毎に契約を更新する定めで第八高等学校の外人英語敎師となり同校に勤務中昭和十六年十二月八日大東亞戰爭がぼつ発した事実原告は昭和十七年五月頃内務大臣に対し日本への帰化の許可申請をなし昭和十八年二月六日内務大臣から許可が與えられた事実は何れも当事者間に爭がない。原告は右帰化の許可申請は官憲乃至社会的環境の甚しい圧迫強制により自由意志に因らずしてなしたものであるから当然無効であると主張するのでこの点について判断する。
証人伊藤辰次郞の証言及原告本人訊問の結果によれば原告は大東亞戰爭ぼつ発後敵國人としての取扱を受け、その住居からの外出については警察署特高係の許可並に警察官の附添を必要とし、信書の往復については特高係の檢閲を受け又來訪者との面会は警察官立会の下に行われ、用語は日本語に制限せられる等日常生活の上で諸種の自由の制限を受け、更に昭和十七年三月末日には第八高等学校講師の職を解かれ、当時居住中の官舎の退去を迫られるに至りここに收入の途を失い、一方に於ては外に就職の途も得難い上にその資産は凍結せられて自由処分を許されない事情にあり、他方に於ては妻子を引連れ当時橫浜高等商業学校の講師であつた原告の父の許に寄食することもできないという苦境にあつたこと、その頃名古屋市御器所警察署特高主任で原告の保護と監視に当つていた訴外伊藤辰次郞がたまたま原告に対し敵國人として生活することの不利なことを説いて、原告の父は既に帰化して居ること故東京なる父の許に帰り相談の上日本國へ帰化し生活の安全を計るのがむしろ得策だと好意的に忠告した結果原告もその忠告を容れ、昭和十七年二、三月頃東京の両親の許に引揚げ、同年五月頃本件帰化の申請に及んだ消息を窺知するに十分である。しかして右認定の事実に公知に属する昭和十七年五月当時日本國内に報道せられてゐた戰況の模樣前記のやうな原告の経歴、及成立に爭ない甲第一号証の一を綜合して考えると原告は東京在住の両親の許に引揚げた後諸般の利害得失を考慮の末、帰化の途を選んだものと認めるのが相当であつて、原告の主張するように自由意志によらないで本件帰化の許可申請に及んだことを認めるに足る何等の証拠もない。從つて原告の右主張は理由のないものといわなければならない。
次に原告は右帰化の許可申請は強迫によつてなされたものであるから之を取消す旨を主張するのでこの点に審究すると凡そ強迫ありとするには不法な害惡の告知がなければならない。しかして原告が大東亞戰爭ぼつ発後敵國人として日常生活に於て諸種の自由を制限せられ且職業とする敎師を解職せられ生活の安定を失うに至つたことは前示の通りであるけれども右伊藤証人の証言によつて明かなように、叙上各般の措置は敵國人に対するスパイ行動の監視並に國民感情の惡化によつて敵國人の被ることあるべき不測の迫害よりその生命財産を保護する趣旨を以て採られたものであるばかりでなく、この種この程度の窮屈な状態は独り原告に止らず、戰時中敵國人一般の置かれた不可避的な社会的政治的環境に外ならなかつたものと認むべく、伊藤辰次郞が、かような立場にあつた原告に対して、前に述べた樣に帰化の途を採ることが賢明の策である旨を語つた(右はい伊藤の好意的な勧告と認むべきことも前叙認定の如くである)。としても、これを以て強迫とみることができなこともち論であるから、原告の右主張も亦これを排斥する。
次に原告は本件帰化の許可申請及これに対する内務大臣の許可は何れも日本の國籍の取得により英國の國籍を喪失しないにも拘らず、これを喪失するものと誤信してなされたものであつて重大な錯誤があるから無効であると主張するのでこの点につき考案すると、國籍法第七條第二項第五号は日本の國籍の取得によりその國籍を喪うべきことを帰化の許可の要件として規定しており、成立に爭のない甲第六号証に原告本人尋問の結果をそう合すれば、原告は本件帰化の許可申請に当り、戰時中英國の利益代表國であつて「スイス」國公使の「原告は完全な権利能力者であり、英國政府の見解として原告が日本國籍を取得することに対し何等異議なく、原告は日本の國籍の取得により英國の國籍を喪う」旨の証明書を添附提出してその許可を得たこと明白なるところ、成立に爭のない甲第六号証及び原告本人尋問の結果によれば、その後に至り、英國臣民にして英國皇帝と戰爭中の外國に帰化した者は英國臣民たるを失わない旨の英國裁判所の判例の存することが判明した事実を認め得るけれども、原告の立証によつては日本國への帰化により英國の國籍を喪わないものとすれば、原告は本件帰化の許可申請をしなかつたであらうという事実を肯認し得いばかりでなく、却て原告が帰化の許可申請に及んだ前段認定の経緯より判断すれば、原告は英國の國籍を喪うかどうかに特段の顧慮を拂うことなく、当時の苦境を免れんが爲に、帰化の途を選んだものと認めるのが相当であるから、右申請は原告主張の如き錯誤によつてなされたものとなすことを得ない。しかも又前示國籍法第七條第二項第五号は二重國籍を防止する意味において訓示的に設けられた規定で、許可の効力要件を定めたものと解すべきではないから、原告の本件帰化の申請を許可するに当り、内務大臣において原告が日本の國籍の取得によつて英國の國籍を喪うものと判定したとしても右許可の効力に何等の消長なきものと謂はなければならない。
よつて原告の右主張も理由がない。以上何れの点からいつても原告の本件帰化の許可申請並に之に対する許可は有効であつて原告の請求は理由がないから之を棄却すべく訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九條を適用して主文の通り判決する。